甲骨占い(骨占い)入門 ― 殷の王は亀甲と牛骨に何を問い、どう記録したか
この記事のポイント
殷(商)王朝の甲骨占いを、骨の加工と焼き方、問いを肯定と否定の対で立てる方法、卜辞の前辞・命辞・占辞・験辞の4部分から解説。婦好の出産を占った実際の卜辞(合集14002)も読みます。
「卜(ぼく)」という漢字は、骨を焼いたときに走るひびの形だとされています。「占」は、その卜に口を添えた字です。漢字の成り立ちそのものに名残があるほど、骨を焼いて神意を問う占いは古代中国で重要でした。殷(商)王朝の後期、都が今の河南省安陽に置かれていた時代(おおよそ前13世紀〜前11世紀)には、王室がこの占いを日常的に行い、問いと答えを骨に刻んで残しました。これが甲骨文字であり、まとまった資料として残る最古の漢字です。
この記事では、占いの手順、記録の書式、そして実際に残る一片の内容を順に見ていきます。
亀の腹甲と牛の肩甲骨を使った
材料は主に亀の腹甲(お腹側の甲羅)と牛の肩甲骨です。どちらも平らな面が広く、加工しやすい素材でした。亀は殷の支配地の外から貢納されたものも多かったと考えられ、甲の縁に「誰々が何枚納めた」という記録が刻まれた例もあります。
占いは王個人の思いつきではなく、王室の制度でした。占いを担当する「貞人(ていじん)」と呼ばれる人々がいて、名前のわかる貞人だけでも多数にのぼります。後で読む例に出てくる「殼(かく)」も、武丁の時代の代表的な貞人です。
骨の加工と焼き方
占いの手順は、出土品の観察と復元実験からおおよそ次のように考えられています。
- 整える:甲や骨の肉や膜を除き、表面を削って平らにする。
- くぼみを彫る:裏面に、楕円形の細長いくぼみ「鑿(さく)」と、その脇に円形のくぼみ「鑽(さん)」を規則正しく並べて彫る。どちらも貫通させず、骨を薄くするだけにとどめる。
- 焼く:くぼみに熱した木などを当てて加熱する。薄くなった部分から、表側に縦のひびと、そこから横に枝分かれするひびが走る。これが「卜」の形で、ひびを「兆」と呼ぶ。
- 読む:ひびの形から吉凶を判断する。ひびの脇には、何回目の占いかを示す番号(兆序)を刻むこともあった。
- 刻む:問いと結果を、ひびの近くに刀で刻む。
くぼみの形や並べ方は時代によって変わるため、現在では文字の書きぶりと並んで、その甲骨がいつのものかを判断する手がかりにもなっています。
問いは肯定と否定の対で立てる
殷の占いの大きな特徴は、同じ事柄を肯定形と否定形の両方で問うことです。「雨が降るだろうか」と占ったら、別のひびで「雨は降らないだろうか」とも占います。この組を「対貞(たいてい)」と呼び、亀の腹甲では左右対称の位置に刻まれることがよくあります。
なぜ両方を問うのかは研究者のあいだでも議論があります。一方だけでは偏るので両面から確かめた、という説明のほか、問いは疑問文ではなく「こうなるだろう」という宣言(英語圏の研究では charge と呼ぶ)で、ひびによってそれを確かめたのだ、とする見方もあります。
卜辞は4つの部分でできている
刻まれた記録を「卜辞」と呼びます。完全な形のものは、次の4つの部分から成ります。
| 部分 | 内容 | 書き出しの例 |
|---|---|---|
| 前辞(叙辞) | 占った日と貞人の名 | 「甲申卜、殼貞」(甲申の日に卜し、殼が問う) |
| 命辞 | 何を問うか | 「婦好娩、嘉」(婦好の出産はよいか) |
| 占辞 | ひびを見た王の判断 | 「王占曰…」(王が兆を見て言う) |
| 験辞 | 実際にどうなったか | 「三旬又一日甲寅娩…」 |
日付は干支で書かれています。十干と十二支を組み合わせた60日の周期で日を数える方法は、殷の時代にはすでに使われていました。現代の暦で「甲子の日」「庚申の日」と言うときの干支は、ここまでさかのぼります。
4つがすべてそろう卜辞は多くありません。前辞と命辞だけのものがほとんどで、王の判断(占辞)まであるものは少なく、結果(験辞)まで書かれたものはさらに限られます。
実例:婦好の出産を占った一片(『甲骨文合集』14002)
武丁の妃の一人である婦好(ふこう)の出産を占った亀甲は、4つの部分がそろった例としてよく知られています。中国の研究者・羅琨の論文に引かれた釈文を、要点に絞って示します(字の釈読には異説があり、「娩」をほかの字に読む研究者もいます)。
| 部分 | 原文 | 意味 |
|---|---|---|
| 前辞 | 甲申卜、殼貞 | 甲申の日に卜した。殼が問う |
| 命辞 | 婦好娩、嘉 | 婦好の出産は「嘉」(よい)だろう |
| 占辞 | 王占曰、其隹丁娩、嘉。其隹庚娩、弘吉 | 王が兆を見て言った。丁の日に産めば嘉、庚の日に産めば大いに吉である |
| 験辞 | 三旬又一日甲寅娩、不嘉、隹女 | 三旬と一日たった甲寅の日に産んだ。嘉ではなかった。女児であった |
同じ甲の正面には、対になる否定形の問い「婦好娩、不其嘉」(婦好の出産は嘉ではないだろうか)も刻まれ、そちらにも同じ結果が書き添えられています。王の判断は裏面にも刻まれていて、羅琨は、丁でも庚でもない日に出産したことで王の見立てが当たったと受け止められ、結果を正面に書き足したのだろうと読んでいます。
日付も計算できます。60日周期で甲申は21番目、甲寅は51番目なので、甲寅は甲申の30日後です。占った当日を1日目として数えると31日目にあたり、「三旬(30日)と一日」という記述と合います。
この一片からは、女児の誕生を「嘉ではない」と記録していることから、王室が男児の誕生を望んでいたことも読み取れます。占いの記録が、そのまま当時の価値観の記録にもなっている例です。
薬屋の「龍骨」から学問へ
甲骨が学問の対象になったのは19世紀末です。1899年、清の金石学者・王懿栄(おう・いえい)が、薬として売られていた「龍骨」に古い文字があることに気づいた、という話がよく知られています(この発見の経緯には伝説的な脚色があるとも言われます)。
その後の流れは次の通りです。
- 1903年:劉鶚(りゅう・がく)が最初の甲骨の拓本集『鉄雲蔵亀』を刊行。
- 1900〜1910年代:羅振玉が出土地を安陽の小屯村と突き止め、王国維は卜辞に現れる王の名を調べて、『史記』殷本紀の王の系譜がおおむね実在のものであることを示した。
- 1928〜1937年:中央研究院歴史語言研究所が殷墟を組織的に発掘。1936年にはYH127坑という一つの穴から1万7千片あまりの甲骨がまとまって出土した。
- 1933年:董作賓が『甲骨文断代研究例』で、甲骨を時代ごとに五つの期に分ける方法を示した。
- 1978〜1983年:郭沫若を主編とする『甲骨文合集』(中華書局)が刊行され、甲骨を番号で引けるようになった。上の「合集14002」はこの番号です。
- 2006年に殷墟がユネスコの世界遺産に、2017年には甲骨文がユネスコ「世界の記憶」に登録された。
出土した甲骨は一般に約15万片とされます。字の種類は数千にのぼりますが、読みと意味がほぼ定まっているのは千数百字程度とされ、数え方は研究者によって異なります。
卜から筮へ、そして『易経』へ
骨を焼く「卜」は殷が滅んだ後もすぐには消えず、周の本拠地だった陝西省の周原からも、文字を刻んだ甲骨が見つかっています。一方で周代には、植物の茎(蓍)を数えて卦を出す「筮」が重みを増していきます。この筮の言葉をまとめたのが『易経』です。
卜は、ひびという一回限りの形を読む方法です。筮は、数の操作で64の卦のどれかを出し、決まった言葉を引く方法です。同じ「神意を問う」でも、筮のほうがあらかじめ用意されたテキストに頼る点が大きく違います。筮の具体的な手順は易経入門で紹介しています。東アジアの占いの流れ全体は東アジアの占い文化にまとめています。
参考文献
- 白川静『甲骨文の世界:古代殷王朝の構造』(東洋文庫)平凡社、1972年
- 落合淳思『甲骨文字の読み方』(講談社現代新書)講談社、2007年 https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000210391
- 落合淳思『甲骨文字辞典』朋友書店、2016年
- 松丸道雄・高嶋謙一編『甲骨文字字釈綜覧』(東京大学東洋文化研究所報告)東京大学出版会、1994年
- 郭沫若主編『甲骨文合集』中華書局、1978〜1983年
- David N. Keightley, Sources of Shang History: The Oracle-Bone Inscriptions of Bronze Age China, University of California Press, 1978
- 羅琨「《説命》“生二牡豕”解:兼説“失仲”故事的可信性」(合集14002の釈文を引用)https://www.ctwx.tsinghua.edu.cn/__local/2/B5/66/4C93AE37ED765067D4368F561C1_3B74A55B_92BED.pdf
この記事について
この記事はAIの補助を使って下書きし、運営者が内容と日付を確かめてから公開しています。暦の日付は天文計算で求め、春分・秋分などは国立天文台の公表値と照らし合わせています。占いの内容は楽しみとしてお読みください。